ログネイティブな世界
●ログは、録るものから、録られるもの へ
日記、ブログ、Facebook…。
生活者の日々を記録することに要するコストは、
急激に小さくなっている。
もはや、手帳を買う必要もなく、
スマホから簡単に、手間なく、今日会ったことを記録できる。
さらに、タグ付けという機能の登場により、
自分が自発的に記録しなくても、
勝手に、知らぬ間に、自分の行動が記録されていく。
極めつけは、顔認証技術。
街中に防犯の何もとに何台も設置された防犯カメラ映像から、
人物を特定することは、既に現実の話だ。
家にひきこもったところで、インターネットにアクセスすれば、ログは必ず残るし、
誰にも気づかれず、生きていくことのほうが困難である。
この先の世界、
あなたが生きているというログは、
いつでも、知らぬ間に、残りづづけるのだ。
●ログネイティブの世代
これから生まれてくる、成長する人たちは、
「あの日、なにしたっけ?」という悩みはもたなくなるだろう。
Facebookをみれば、友達と遊びに行ったことがわかるし、
どの電車に乗って、どこで待ち合わせをして、いつ別れたかも
きっと、今より簡単にわかる(アプリが出ている)だろう。
まさに、ログネイティブだ。
●ログは、人間を幸せにするか?
こんな話をすると、
プライバシーの問題だ、とか
ストーカーなど危険のリスクが高まるという声が上がる。
否定することがないばかりか、まさにその通りだ。
もしかしたら、いまより、生きづらくなるのかもしれない。
しかし、この流れは、止められない。
技術の進歩とイノベーションのおかげで、
人間は、
五感を超えたセンサーと海馬を超えたストレージを
「標準搭載」するようになったのだ。
●ログは、忘れることから、人間を解放する。
人間は、忘れやすい生き物だ。
嫌なことを忘れるから、幸せに生きていけるんだ。
そんなことが言われるときがある。
でも、それは人間としての諦めに聞こえる。
そもそも人は、限られた記憶量のなかで「大事なこと」を忘れないために、
「どーでもいいこと」を忘れるように設計されている。
しかし、人が設計されたときに比べて、
取扱うべき、捌くべき情報量は、爆発的に増加している。
「大事なこと」がそんなに大事じゃなかったり、
「どーでもいいこと」が意外と大事だったりする。
人の設計値を超えた情報のIN/OUTのなかで生き続けるなら、
補完するしくみが必要だ。
ログは、「大事なこと」を留めておくためだけでなく、むしろ、
「どーでもいいこと」から「大事なこと」を見出すために必要なのだ。
●ログは、人間を幸せにする。
インターネットは、世界中の知識をリアルタイムに蓄積し、
共有できる素晴らしいツールだ。
ログは、もっとローカルで、ダイナミックなツールになる。
ログは、人間を幸せにする。