医療こそBigData:スルーしすぎている私たち
正直、この記事を見たときには、悔しかった。
自分が思い描いていたコンセプトは、
すでにここまで、Visibleなものになっていて、
テクノロジーは、そのコンセプトに追いつきつつある。
一方で、これは喜ばしいことでもある。
この次時代医療の黎明期に生きている私たちは、
大きな実りをもたらしそうなタネを持っているのだから。
活かすか否かは、今後のアクションに掛かっている。
●医療こそ、まずは、BigData!
医療業界は、クローズドな世界だ。
聖域という名のもとに規制に守られている。
聖域の中から外に出てくる情報は、限られている。
ICTの利活用が限定的になるのも当然だ。
「お薬手帳」はいまだに紙の帳面。
「カルテ」も電子化こそ拡がりつつあるが、病院内でクローズ。
食べログで評判の良い居酒屋はすぐ見つかるが、
病院の良し悪しは、結局、運みたいなものだ。
多くの開業医は、自分の実績だけが頼り。
まさに、KKD(勘、経験、度胸)の世界だ。
要するに、医療業界の何が「いまの当り前」と乖離しているのか。
それは、
「実績の蓄積」と「共有」するしくみだ。
1年365日、その毎日、
何人もの人が、体調を崩し、
何人もの人が、病気と診断され、
何人もの人が、亡くなっている。
逆に、
何人もの人が、命を救われ、
何人もの人が、病状が収まり、
何人もの人が、元気を取り戻している。
この当たり前の出来事を、
(少なくとも、日本の医療制度のなかで生活する)私たちは、
スルーしすぎている。
このひとつひとつのデータを
利活用できるように蓄積することで、
未来を予測し、最適な対策を講じることで、
死ななくて良い人を、死なせることなく、
病気にならなくて良い人を、病気にさせることなくさせることができる。
その受け皿となるシステムが、この世界には必要だ。